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2015年 4月8日


今日は教室の生徒さん22名が通っている


小学校の入学式

お邪魔しました。


自治会の区長さん代理として
来賓席でした。



なんと朝から雪

4月ですよ~~。
驚きました。


スーツの上は真冬のコート
手袋も再登場です。


パンプスはちょっと怖そうなので
ヒールの低い靴を履いて
式の会場は土足ではないと思いつつ
一応パンプスも持ちました。


自宅はこの学校の学区では無いのですが
なぜか学区内の学校より
こちらの学校に通う生徒さんの方が
多いんです。


と言う事で校長先生にも
ご挨拶させて頂きました。




今日は2人の生徒さんがご入学でした。


おめでとうございます。


忘れられない雪の入学式になりましたね。



ピカピカの1年生達は初々しくて可愛くて・・・・。

これから無限の可能性があるのですね。

応援していますね。




ふと約20年前の息子の入学式が懐かしくなり
アルバムを開いてみました。


この写真は入学式に行く前に自宅で
撮ったものです。
家の中に中庭があり
なんとそこには雨が降ると言う
面白いお家でした。
その中庭の前で撮りました。





マニラ日本人学校
入学式です。
1年生は2クラスありました。


現地の幼稚園に通っていて
何だか訳の分からない事ばかりでしたので
日本人学校に入学できてほっとしたのを
思い出します。


何を着るんだ
と言うことになり
友人親子のお洋服をコピーさせて
貰ったのが懐かしいです。


あの頃は洋服を作って貰うのが楽しく
生地を買ってはドレスメーカーのおばさんに
作って貰っていました。

ワンピースでも500円ぐらいで
作って貰えました。

なのでステージ用のドレスも
結構作ったんですが
今では身体が入りきりません。



こんな風に親子お揃いの物も・・・。






親子3人お揃いで恐竜柄のパジャマを作った事も
ありました。




マニラ日本人学校は
自宅から車で40分程かかり
息子は毎日
スクールバスで通っていました。


息子が入学する前の年までは
ボンネットバスで、なかなか発車出来ずに
お母様たちが皆でバスを押して
発車させることもあったとか・・・・。


息子が入学した年から
冷房の効いたちゃんとしたバスに
変わったとかで

ラッキーでした。



マニラでの思い出
またゆっくり書いてみたいと思います。




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2014年 8月30日

今日は約3年ぶりにマニラ時代の友人と会いました。

マニラで暮らしていたのは約20年前。
とっても沢山の素敵な思い出が詰まった2年半でした。


今日、お会いしたのは

マニラ日本人会女性コーラスグループ「ラ・メール」
一緒だった友人です。

私が指揮者兼伴奏者として務めた2年間のうち
2年目の時に団長さんとして私をしっかりと支えてくれた
大切な友人です。

本当は4名でお会いする筈でしたが
お2人が駄目になってしまい・・・・・。

この4人でやはり「ラ・メール」のメンバーだった友人を
訪ねてハワイにご一緒したこともあります。

おばさん4人の旅は楽しくて楽しくて・・・・。


「ラ・メール」の話に戻ります。

私がマニラに行って直ぐに息子の関係で知り合ったのが
その時、「ラ・メール」で指導をしていた同じ大学出身の
先輩でした。

定期演奏会2ヵ月ほど前だと言うのに
引きずり込まれ・・・・・・。
必死で暗譜してメンバーの1人としてステージに立ちました。

その後、伴奏者が日本に帰国になり、私が伴奏者を引き継ぎ
その先輩とも親しくなっていたので、2人で次の定期演奏会の
構想を考えていた矢先になんとその友人が
日本に帰国することになってしまいました。

こんな事がしょっちゅう起きるんです。

急遽、私が指導を任されました。

定期演奏会は年1回行われ、マニラに住む日本人の
皆さんがご存じのイベントでした。

フィリピン人の合唱団とのコラボで混声合唱もやります。
タガログ語(フィリピン語)でフィリピンソングも歌います。
その時はフィリピン人の先生が指揮をされて私が伴奏。

何故か指揮者は全て暗譜と言う伝統があり・・・・。
20曲近い曲を必死で暗譜しましたよ~~。


とっても大変なお役目で
「ラ・メール」の指導者と言う事で
息子の通う日本人学校のPTA役員も免除されました。


主人の会社のミセス会からも応援して戴いていました。 
 
定期演奏会直前に主人が帰任になりましたが
なぜかその帰任が延びたとかの話も・・・・。

そんなこんなで何とか1回目の定期演奏会が終わり
次期の指導者と団長を決める時が来ました。

私は「ラ・メール」三昧の生活だったので
2年目は気楽にメンバーとして歌い
ゴルフやテニスや色々やりたいと思い
指導者は辞退したのですが
今日お会いした友人が

奥村さんが指導者を引き受けてくれるなら
団長をやります。

な~~んて仰って下さいました。

当時「ラ・メール」はそうそうたるメンバーが揃い
個性あふれる皆々様でしたし、海外での活動には多くの苦労が伴い
団長さんは大変な任務だったと思います。

そんな中、なんて嬉しいお言葉なのでしょう。

と言う事で2年目も指導者として
頑張っちゃった訳なのです。

彼女は英語も堪能でご自身もマニラで
声楽のレッスンを受けていらしていて
かなりの実力派でしたので
本当に心強かったです。

そして何よりお人柄が素晴らしく
とてもきめ細かく動いて団をまとめて
下さっていました。

随分多くの事を勉強させて頂きました。


そんな素敵な友人とのランチは

プロカンジャンケジャン
渡り蟹専門店でテレビでも良く紹介されているとの事です。
生の蟹は初めてでしたがトロ~っとして美味しかったです。
エプロンと手袋をフル装備して元気にかぶりつきました。

 



その後、お茶しようかと歩いていたら
なんと先程、行列だった話題の

俺のフレンチ・イタリアン
の行列が見当たらない・・・・

と言う事で迷わず突入こんなに食べてしまいました。
話題の通り、お洒落で美味しくてリーズナブルで感激。
5時間ほどの間に身体が急成長した私たちでした。
お茶の筈がこれは完璧なお食事ですものね~~。


次回は4人で集まって皆でいっぱい食べて、仲良く急成長したいです。




 



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2013年  9月8日

昨日は、マニラで暮らしていた時の友人と
楽しいランチタイムを過ごしました。


13090801.jpg
マニラに住んでいたのは20年ほど前です。

2年半ほど主人と息子と3人で暮らしていましたが
今から思うと夢のような生活だったかな

そして、全く習慣の異なる異国の地で
楽しく暮らせたのは
頼りになる友人達が居てくれたおかげです。

息子が年長さんの時に行ったので、
まさに子育て真っ最中でしたから・・・・。

日本人はある決まった地域にまとまって
暮らしていましたので、しょっちゅう
お会いしていたように思います。

一緒に助け合って頑張ってきたお仲間なので、
こうして20年経った今でもお付き合いさせて
頂けるのはとても嬉しいです。


マニラでの夢のような暮らしとは
メイドさんとドライバーさんが居てくれる暮らしです。

我が家は一人っ子なので、クックさんとハウスさんの
2人のメイドさんと1人のドライバーさんでしたが、
赤ちゃんが居たりするご家庭では、ベビーシッターさんも
居たりします。

という事で、家事を一切しなくて良いという
夢のような生活なんです。

朝起きると前日に指示しておいた通りの
息子のお弁当が出来ていて、私の朝食はリクエスト通りに
作って貰え、その日に着ていく洋服にアイロンをかけてくれます。

もちろん、お掃除はプロ級なので安心してお任せです。

最後のクックさんはとても優秀だったので、
アジの開きをベランダで干して作ってくれたり、
みたらし団子も上新粉から上手に作っていました。

ハウスさんはのんびりしたとても優しい子で、
私たちが帰任する時には泣きながら

マム(私の事)には家事はさせられないから
一緒に日本に付いて行く。

なんて言ってくれました。


ドライバーさんも何人か変わりましたが、
最後の人はこれまた優秀で、何処に行くにも
予定通りにきちんと到着できる人でした。

あの頃のマニラは結構渋滞も酷かったので
凄いですよね。

お人柄もとても素晴らしく、
私たちが帰任する時には、引く手あまたで
とても良いお給料で友人のお宅に転勤しました。

ドライバーのお仕事だけではなく、家の修理は
大抵こなしてくれてとても助かっていました。


ここまで書くと、確かに夢のようなお話なのですが、
過酷な事と言えば

停電

毎日、予告なしに6時間ほどは停電しました。

暑い国での停電は辛かったですよ~~。

このお話はまたいつかゆっくりと
書かせて頂きますね。


さてさて、昨日のランチです。

楽しい前菜

13090802.jpg 

可愛らしい豆寿司

13090803.jpg 

バラエティなデザートビュッフェ

13090804.jpg 

楽しいひとときをありがとうございました。

そして、息子の結婚のお祝いを戴きました。
感激です。
重ねてありがとうございました。




ランチの後は、ご近所のご夫婦の

山の絵と絵手紙の二人展
にお邪魔しました。
 
13090805.jpg

芸術劇場の展示室です。

なんと80歳を超えていらっしゃるご夫婦です。 
  お二人の素敵な作品達に心が洗われました。

こんな風に歳を重ねられたら素敵だなって
改めて思いました。




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2012年5月1日

今日から5月で、私のお教室では新年度のレッスン
スタートします。

レッスンスケジュールが変わりますので、
新しい曜日、時間で新たな気持ちで頑張りましょう。

前後の生徒さんが変わる事も多いかと思います。

どうぞ宜しく・・・・

と笑顔で、気持ちよくスタートしましょうね。


今回は、マニラで生活していた時のお話です。

マニラではピアノを教えないという息子との約束

守れず、あちらへ行って間もなく、日本人の先生を探している

日本人の子供さん達のレッスンをお受けしていました。

未だ5歳だった1人息子は、生徒さんへのやきもちが・・・。
そんな時が有ったのですね~~。

ある日、お隣に住んでいたオーナーのおばあちゃまに
ハワイからバケーションで来るお孫さんのレッスン
頼まれました。

え~~~

マニラに行ったばかりの私は英語に
自信がありませんでした。

メイドちゃんとお話しするときも身振り手振りで必死

英語でピアノのレッスンをするなんて、
あり得ない。

出来ればお断りしたいなと思いましたが、実際、生徒さんが
毎日のように通っていますし、オーナーのおばあちゃまには
何かとお世話になっているし・・・・・。

2週間の滞在だったので、2回ぐらいなら頑張ってみようかな
と思い、お引き受けしました。

そして、1回目のレッスン日となりました。

多分、10歳くらいだったかと思いますが、長身の彼は
会うなり凄い速さで私に話しかけてきました。

う~~~っ 聞き取れない

フィリピン人の英語は比較的ゆっくりで発音も抑揚が無い
ので私には好都合でした。

ところが、彼は本場ものの英語
テンポも速く、抑揚の幅も大きく・・・・。

私の頭の中にはとても大きな

後悔

と言う文字が・・・・・。

でもここまで来たらやるしかないのです。

私は辞書を握りしめ、何とか頑張りました。
確か、彼はトンプソンと私の知らない教本を
持って来ていました。
それを一緒にレッスンして、せっかくなので
日本の曲を何曲か教えてあげたと記憶しています。

レッスンを終えてほっとしていると、
オーナーのおばあちゃまから電話が・・・・。

楽しかったので毎日行きたいと
言ってるんだけど・・・・。
もちろん、英語です。

ムリムリムリ・・・・。

日本人の生徒さんも週に1回だからとお話して
私は何とかこの窮地から逃れたのでした。

でも、もしかしたら言葉が通じなくても
音楽の楽しさって伝えられるのかも
知れませんね。

そういえば、声楽のレッスンを受けたり、合唱や声楽の
伴奏をするときも、交わす言葉は私の苦手な英語ですが
何とか相手の意図する事は理解できていたのかも
知れません。

やはり、音楽って心で伝えるものなのかな?
って思わせてくれた出来事でした。

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2012年4月19日

ステージで演奏中に、いきなり
客席もステージも 真っ暗になったら
そのまま冷静に演奏を
続けられるでしょうか?

そんな事が、私がマニラ在住時代に起こりました。

日本人のピアニストさんだったと思います。

例によって、20分程遅れて、そのコンサートは
開演されました。

その頃、マニラでは時間通りに開演される事は
ほとんど有りませんでした。

演奏前の気持ちの作り方ってとても大変だと
思いますが、きっと演奏開始が遅れた事で
既に無駄なエネルギーを必要とした筈です。

そして、次なる悲劇が・・・・・。

コンサート中盤の頃、ステージも客席も
突然真っ暗になりました。

その頃、マニラでは、急激な経済成長に伴い
電力不足が深刻な問題でした。

日本の計画停電とは異なり、何の予告も無く
突然停電します。

運悪く、演奏中に停電に
出くわしてしまったのです。

のんびりしている国民性か、テキパキと発電機を
作動するなんて難しいのか、しばらく真っ暗なまま
でした。

冷房ももちろん切れたので、そのうち

会場はとても 暑くなり、
観客は、ダラダラムードでプログラムで
仰ぎだし・・・・・。

そんな中、そのピアニストさんは、汗だくで、
真っ暗な中、 演奏を続けていました。

立派です。尊敬です。

何とかしてあげたいけれど心の中で応援する事ぐらいしか
出来ません。

その後、しばらくして、発電機が作動し、照明は付きましたが
冷房までは力及ばずで、

暑いまま、コンサートは終了しました。

疲労根倍のピアニストさんが退場する時、私は力いっぱい
出来るだけの拍手をしていました。

すると更なる悲劇が・・・・・。

ステージ上をネズミさんが走る・・・・・。

私には良く見えなかったのですが、ピアニストさんの足が
一瞬止まったので、

疲れ果てて倒れてしまったらどうしよう・・・

と思ったのですが、一緒に行った友人は、しっかりと
ネズミさんの姿を確認したそうです。

きっと、やっと演奏が終わり、ほっとしてステージから
去ろうとした時、ネズミさんに遭遇したのですね。

本当に本当にお気の毒なコンサートでした。

マニラ時代にはまだまだ多くの驚きのエピゾード
いっぱいです。

その幕開けはグランドピアノが日本から
やってきた時の事です。

過去に書かせて頂きました。

【ポメロ】を見て思い出すマニラでの驚きの日々

停電についても暑い国なのでかなり大変でした。

いつかたっぷりとお伝えしたいで~~す。


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おくむらピアノ教室

Author:おくむらピアノ教室
埼玉県所沢市でピアノ教室を
開いています。
レッスンに来てくれた生徒の
皆さんがニコニコ笑顔に
なれるようなお教室を
目指しています。
レッスンでの出来事、日常で
感じた事などを
綴っています。